紅の豚のエンディングで、豚だらけのシーンがあることに、深い意味が隠されていることを知っていましたか?
また、カーチスは絵コンテの段階では、大統領になっていたのです!
そんな、エンディングシーンに含まれる、謎と秘密を解明していきます。
紅の豚のエンディングテーマ
新井ひとみさんの新曲が11月25日に発売決定!
加藤登紀子「時には昔の話を」をカバー
イメージは紅の豚のジーナかな?#新井ひとみ pic.twitter.com/o8MTxopT0c— 関西のカン (@kansai_san) September 9, 2020
紅の豚のエンディングで流れる曲は、加藤登紀子の「時には昔の話を」です。
歌詞からは、ある男が昔を思い出しているかのような風景が見えてきます。
時には昔の話では、1番のパートと、2番のパートで、若かった時代の思い出を回想しています。
例えば、1番の「見えない明日を むやみにさがして 誰もが希望をたくした」という歌詞からは、現実を悟る前の希望に満ち溢れた様子が浮かびます。
また、2番の「お金はなくても なんとか生きてた 貧しさが明日を運んだ」という歌詞からは、純真さと同時に、無知さが表現されています。
昔を思い出している男は、かつて大きな夢を持っていたのでしょう。
男だけではなく、周りにいる友達も、自分と同じような夢を持っていて、皆で語り明かした日々がありました。
夢を追いかけ続けていたから、貧しかったけれど、そんなことはどうでも良かったのです。
それくらい希望に満ち溢れていました…。
そして3番のパートでは、現実に戻ります。
「あの日の すべてが 空しいものだと それは誰にもいえない」
かつての希望に満ち溢れていた時代は、若い時だったからこそ、無意味なことも意味があったのです。
多くの現実を知った今では、昔のような純真さと無知さを取り戻すことができません。
けれども、「今でも 同じように 見果てぬ夢を 描いて 走り続けているよね どこかで」という最後のパートでは、今も残っている少しの希望と、願いが込められています。
「昔はあんな無茶をしたし、今じゃ考えられないこともたくさんしたけれども、確実にあの時は存在していたんだよね。」と、自分に言い聞かせながら、かつてを懐かしんでいる男は、ポルコでしょうか?
タバコを吹かしながら、思い出に耽っている情景が思い浮かびますよね。
紅の豚|なぜ豚だらけなのか?意味と理由
エンディングで流れる22枚のイラストは全て宮崎駿監督が手掛けたもの。描かれている豚には、地上の色々な利害関係の道具として飛行機が利用されはじめ「任務」として空を飛ばなければいけなくなった男たちがある種の苦々しさなどから免れることはできないという思いが反映されているそうです。 #紅の豚 pic.twitter.com/q1KJWvk3T0
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) November 2, 2018
豚だらけになっている印象的なエンディングには、飛行艇乗りたちが、家畜のように犠牲になったという意味が込められています。
「時には昔の話を」の歌詞のように、エンディングに映し出されている写真は、かつての飛行艇乗りたちの写真です。
純粋に飛行艇に乗ることを愛していた飛行艇乗りたちでしたが、第1次世界大戦で戦闘する上で、飛行艇は兵器となりました。
飛行艇はいつの時代でも、戦争の道具となってしまいます。
戦争によって、生き残った飛行艇乗りはほとんどいなく、皆戦争に殺されてしまいました。
結局、戦争は何も意味を生み出すことはなく、ただ無下に人だけが死ぬだけという、飛行艇乗りたちの憤りと苦しみが表れているのです。
つまり、戦争によって無下に死んだ飛行艇乗りたちは、家畜のように殺されたんだという意味で、豚だらけになっています。
紅の豚|絵コンテではカーチスが大統領に

なんと、絵コンテでは、カーチスがその後、大統領となっている設定なのです。
絵コンテでのフィオのエンディングでの語りが、
「ハリウッドのスターになったミスター・カーチスは、大統領になった今もあの時のアドリア海が…」
と、書かれていて、カーチスが大統領になっているのです!
なぜ、作品では大統領と描かなかったのでしょうか。
詳しい理由は分かりませんが、カーチスのモデルが、ロナルド・レーガンというところに関係しているかもしれません。
ロナルド・レーガンは、大統領に就任する前までは、ハリウッドスターでした。
まさに、カーチスと同じような人生を歩んでいるのです。
ハリウッドスターの後に大統領となった人物というと、アメリカ人であれば、誰もがロナルド・レーガンのことを頭に浮かべると思います。
認知が広い人物なので、モデルとなったカーチスの描き方が、場合によってはブーイングされてしまうこともあります。人の見方はそれぞれ違うので…。
カーチスを大統領にしてしまうことで、「惚れっぽい」「ポルコに決闘で負けた」という面が、人によっては「レーガンを侮辱している!」と思われる可能性もあるかもしれません。
まあ、ただ単純に、「カーチスを大統領にしたらつまんないと思った」などと、宮崎駿監督は考えていたかもしれませんけどね。
まとめ:紅の豚のエンディング
エンディングの豚だらけになっている意味が、とても深いことから考えても、改めて紅の豚の奥深さを実感することができますね。
また、カーチスが大統領になった設定であったことも、驚きですよね。
そんな、エンディングまでも魅力が詰まっている紅の豚を、もう一度観たくなってきたのではないでしょうか?